佇む季節 2011.11.7
その時は夕暮か、それとも朝日の桃色の光なのか。港に佇む小さな船はこれからの出航をじっと待っているのか、一日の漁を終えてホッと一休みしているのか。
この旅は、果たしてこれからどこへ向かおうとしているのだろうか。あるいは今までの旅のひとくさりの回想?
日々努力する自分は進歩しているのか、それとも相対的力関係の中で後退しているのか。未来の不確かであるのは追憶の主観的曖昧と相似形をなすだろう。そもそも、この現実とは1つなのか。
想像力さえ働かせれば、この現実の背後に、無数の現実が存在しているといえるのか。一枚の写真に写るその時、その場かぎりの光での光の集積は、それが、ポジティブであれネガティブであれ多面的現実そのものだ










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以前(2010年2月)1か月位オーストラリアを旅したのだけれどアボリジニのdreamということばにこめられた意味にとても感動しました。 彼らのdreamとは[生活する、旅をする]という意味です。 僕は、日本の東京で生活をしていますが、その生活において旅をしているという実感はほとんどないと思います。ところがアボリジニにとって「生活する」と「旅をする」はdreamということばにおいて同義なのです。多分僕がどこかへ旅をするのは、自分の日常生活の中に、できるだけ旅をする時のワクワク感-新しい風景や文化や人々との魅力的な出会い-をとり戻したいからだと思います。旅をするように生活する、それが僕の夢です。つまりdream。もうちょっと言うと、その旅=生活のなかで僕らは意識するしないにかかわらずあるエネルギーやスピリットの痕跡を残していきます。その痕跡を残すという行為が、その人がその人なりに生きているということだと思うのです。