2010年6月28日

チームリーダーホンダ誕生!

Filed under: blog — Nishitani @ 10:59 PM

 やった!やった!やったー!
 6/25、デンマーク戦は快勝だった!こんなhappyな試合を見たのは何年ぶりだろう?とにかく4年前のW杯でのオーストラリアとの苦い苦い敗戦以来のクラーイ気持ちをスカッと吹っ飛ばしてくれた!
 ありがとうイレブン!ありがとう岡ちゃん!

 ところでこの試合で本田は真の意味でチームリーダーになった。
 まずは最初の1点。ゲームの前半で、デンマークに完全に支配されていたゲームの流れを、完全に日本に呼び込む価値あるゴールだった。しかも、あの1発で敵のゴールキーパーはビビった。世界レベルの本田を強く意識した。(あのシュートまで多くのデンマーク人は日本のサッカーをなめていたはずだ。甘くみちゃあいけないよ!)
 次の遠藤の2点目。これも本田の存在が大きかった。敵のキーパーは当然本田のシュートを意識してゴール左をチェックする。それを察知した遠藤が本田にすぐ言う。「オレに蹴らせろ!」控えめな遠藤には珍しい言葉だ。(その後、遠藤はダイビングヘッドまでしている。コロコロの遠藤にはありえない。悪ノリだ。)もちろん、その意図は十分にわかるから、「いや、オレが蹴る」、なんて自己主張を本田はしない。喜んで譲る。そして遠藤のシュートはゴールキーパーの意表をついて、ゴール右隅に吸い込まれていった。チームワークの2点目だ。この流れで前半終了。
 後半、デンマークの捨て身のパワープレーでPKをとられる。キーパーの川島はトマソンのPKを最初ブロックしたが、跳ね返りを決められてしまった。残念!その残念を最も象徴していたのが、川島の悔しがり方だ。見ただろうか。彼は地面を、いや南アフリカの大地を、地球を、3回思いっきりたたいたのだ。この悪い流れ、この運命はオレが変えてやるというメッセージだ!チームの最も後ろに控えるゴールキーパーのこの姿勢は強い。いやでもフィ-ルドプレーヤーを鼓舞する。2-1から日本はカメルーン戦のように守りに入らなかった。いや攻めた。川島の悔しさの借りはゴールで返してやる!
 その後すぐ、岡崎の3点目が生まれる。岡崎本人も認めたように、これは半分以上本田の得点だ。最後のディフェンダーを世界レベルのフェイント(あれはクリスティアーノ・ロナウドレべルだ!)でかわした本田は相手キーパーと1対1になった。その時、あえてシュートの選択は取らずに右にフリーで待っていた岡崎にラストパスをした。岡崎はそれをただゴールに流し込むだけでよかった。
 
 何故、本田は岡崎にパスをしたか?
 試合後のインタビューでの本田の話によれば、彼は試合前、岡崎に「まず、オレが一点取るから、お前が後で出てきて、もう1点入れろよ」と言っていたらしい。おそらく、その言葉が、シュートかパスの選択をする際の1秒の100分の1の時間に本田の頭をよぎったはずだ。彼は、迷わず後者を選択した。
 
 考えてみれば、今度のワールドカップのメンバーはなかなかレギュラーが固定しなかった。
 俊輔ははケガの回復が遅れて本来のキレが戻らない・・・etc。カメルーン戦に絶対引き分け以上という予選突破の原則から、岡田監督は守備重視のフォーメーションをとり、阿部を守備的ボランチ、昔でいうスイーパー兼マーカーのポジションに使い、岡崎に変えて本田を1トップにした。この起用に本田は見事に応えた。おそらく、岡田監督の期待した分の2倍位は・・・。プレーの質だけでなく、チームを1つにまとめるということにおいても、本田は見事にその役をこなした。

 カメルーン戦の直前に岡崎は1トップのポジションを本田に譲らざるを得なかった。いくらチームプレーとはいえ、これを面白くないと思わない人間はいないだろう。本田は岡崎の気持ちを痛いほどわかっていたはずだ。そして、ゲーム前に岡崎に言った言葉をそのまま台本として、ワールドカップという舞台で演出してみせた。まさに、その意味で彼はゲームを楽しんでいた。play(楽しむ/芝居/ゲームをする)していたのだ。
 オランダ戦のラストで同点にしておくべき大切なシュートを外した岡崎は、この一発で自信を取り戻したはずだ。パラグアイ戦で途中出場したら、きっと得点に絡むプレーをしてくれるだろう。その期待を抱かせるに十分なシュート。そして本田の演出だった。

 これにはエピローグがつく。試合後のインタビューで本田はこうも語った。
 「俺はあの時、シュートを選択できなかったから、やっぱりストライカーにはなれないと思う。」
 ヤバすぎるぜホンダ!自分の手柄をさりげなく下げて相手に花を持たせる余裕。オランダで二部に落ちたチームのキャプテンになってチームを1つにまとめ、一部に復帰させただけのことはある。

 そして、日本は決勝トーナメント16チームのなかで、ヒデなきあとホンダを中心に最もチームワークの取れたチームになった。
 
 あとはどこまで行けるか。パラグアイ戦では日本のサッカーの新しいstageが見られるはずだ。ここで勝てばその勢いでポルトガルvsスペインの勝者も撃破できる!!ベスト4は現実的になってきた。世界をアッと言わせるときが・・・・・・・

2010年6月8日

残金35円

Filed under: blog — Nishitani @ 10:38 AM

 先週の週末北海道、函館にあるJazz喫茶BOPに行ってきました。北海道は僕にとっていわば聖地。日本のサッカーファンにとって国立競技場のような存在です。僕が20歳の頃、人生に途方に暮れていた時、旅に出て放浪したのが北海道でした。思えばそれから何度北海道に行ったことか・・・。僕にとって迷える子羊を探す旅の終着点はいつも北海道。行くたびに何かが見つかった気がします。下記に引用するのは、今から2年程前に「成人の日」にむけて僕が新聞に書いたエッセイ。時事通信社を通じて、全国の地方紙に掲載されたものです。
 
 「成人の日」エッセー
 二十歳になる一ヶ月前、僕は東京・吉祥寺の井の頭公園のベンチに座っていた。高知という片田舎から期待に胸を膨らませて上京した人間にとって、学園紛争後の東京の空気はやけに空々しく、まして自分の将来の見取り図が描けない二十歳前の若者に、現実はむなしくすぎさっていた。夢が無ければ、大学生活からは本当の充足感は得られない。人生に対する初めての“壁”だった。
 
 その時、公園の新緑の木々のこずえの向こうから風が吹いてきた。その風が僕に行った。
 「北へ行けよ・・・。」
 「えっ?北へ行けだって?」

 人生で初めて聞いた風の声を信じた僕は北へ向かった。いや、逃げた。いくら希望の大学へ入っても、夢が無ければ日々の現実はむなしいだけだ。自分の内臓感覚の命じるままに動いてみよう。

 二万円と50ccバイクが旅の道連れ。制限速度の30キロを守りつつ、初めて見る土地、初めて切り開く未来の予感に震えながら、僕は日本列島をだらだらと北上した。
 
 青森で残金三十五円になった僕は、幸運にも短期のバイトにありつき、その金で津軽海峡を渡る。初めての北海道。僕の青春の土地だ。一気に層雲峡まで走り、住み込みで働き始めた。朝五時に起きて観光客に自転車を貸す仕事をしながら、僕は二十歳の誕生日を迎えた。ゆっくりと明けてくる二十代初めての朝日に染まりながら、自分の道を歩いているという実感だけがひりひり僕の肌を刺した。誰も祝ってくれないひとりぼっちの「成人式」。

 北海道では、行く先々の公園で寝袋にくるまって寝た。ホームレスの人たちとも知り合いになった。故郷や大学から遠く離れ、どん底の生活だったが、同時にどん底から物を見ることの大切さを体に染み込ませた。

 「understand(理解する)」という単語の語源は、「under(下に)」「stand(立つ)」だ。相手を理解することは相手の下に立つこと。教師ならできない生徒の下に立ち、政治家ならホームレスの気持ちを自分のように感じること。それ以外を「理解」とは言わない。

 三ヶ月の旅のラストは函館。そこに「BOP(バップ)」という名のジャズ喫茶がある。そのそばの公園で一週間寝ながら、BOPでひたすら詩集を読んだ。ある雨の日、マスターは僕を店に泊めてくれ、そして言った。「君はとてもぜいたくな旅をしているんだね」

 その言葉は、負の方向に逃げてばかりいた僕の後ろめたい心を一挙に解放してくれた。やむにやまれぬ自分の生き方なら、それがどんなに負の方向に向かうように見えても恥じることはない。いや、それこそが唯一自分へ向かう旅なのだ。成人式が「ひとりぼっちの旅」のスタートであってほしい。「tough(タフ)」な旅だが、一度限りのすてきな出会いがきっと君を待っている。

 P.S. 実はBOPは2008年4月に火災にあって、昔あった五稜郭からJR函館駅に近い新川町に移転したのですが、新しいBOPを作ろうと頑張っているところです。今年の11月にはBOP40周年記念コンサートも開催の予定。来年受験に受かった後、是非、君の青春の地図の1ページにBOPを加えてやってください。

2010年6月1日

Dreaming by Aborigine

Filed under: blog — Nishitani @ 11:26 PM

 20年以上も予備校で講師をやっていると、さすがに教えた生徒の数も増え、そうした生徒が、何年かぶりにふらっと僕に会いに来たりすることがある。自分としては不思議な感覚の中に引き込まれてしまう独特の経験だ。
 
 彼らはたぶん、多感な18歳前後の時期、不安と隣り合わせになりつつも、自分を必死に前へ押し出していた日々に、身近にいて少しでも感受性を共有した大人にもう一度会いたいと思うのだろう。その人に会うことで受験以後今まで生きてきた道程のようなものをおそらく確認したいのだろう。彼(彼女)は、何年かぶりに突然、僕の前に現れる。

 僕はといえば、その彼(彼女)の目の中にふと自分が彼らの中に残した痕跡のかけらを見つけてハッとする。その瞬間は、自分を肯定してもゆるされる、人生の中でごく短い時間の1つだ。自分の歩いてきた人生の痕跡を自分の内部ではなく、他人の瞳の輝きの中にふと見い出すということ。

 今年の2月に1ヶ月程オーストラリアを旅した時、心に深く残った経験がある。それは、アボリジニの考えにじかに接することができたことだった。彼らの天地創造の神話(彼らは今から数万年前にアジア・アフリカからオーストラリアの北部に至り、しだいに南下して自分たちの住む土地を切り開いていったらしい)にdreamingという考え方がある。以前にも書いたことが、アボリジニにとってdreamとは「生活すること」であり、かつ、「旅をすること」でもある。日々の生活が惰性的になることとはまったく逆に、日々の生活が新鮮な刺激や出会いに満ち溢れた旅であり続けること。そして、その生活という旅のプロセスの中で自分が確かに生きていた痕跡を残し続ける行為こそがdreamingなのだ。

 僕はそのdreamingという人生の旅の痕跡を、ふと再会する生徒の瞳の中に感じ取る。その時間はどんなにそれが一瞬であれ、自分という存在にとって永遠のものであって、こんな僕であれ、それでも僕という存在を生かし続けてくれるとても貴重な一瞬なのだと思う。