2010年6月8日

残金35円

Filed under: blog — Nishitani @ 10:38 AM

 先週の週末北海道、函館にあるJazz喫茶BOPに行ってきました。北海道は僕にとっていわば聖地。日本のサッカーファンにとって国立競技場のような存在です。僕が20歳の頃、人生に途方に暮れていた時、旅に出て放浪したのが北海道でした。思えばそれから何度北海道に行ったことか・・・。僕にとって迷える子羊を探す旅の終着点はいつも北海道。行くたびに何かが見つかった気がします。下記に引用するのは、今から2年程前に「成人の日」にむけて僕が新聞に書いたエッセイ。時事通信社を通じて、全国の地方紙に掲載されたものです。
 
 「成人の日」エッセー
 二十歳になる一ヶ月前、僕は東京・吉祥寺の井の頭公園のベンチに座っていた。高知という片田舎から期待に胸を膨らませて上京した人間にとって、学園紛争後の東京の空気はやけに空々しく、まして自分の将来の見取り図が描けない二十歳前の若者に、現実はむなしくすぎさっていた。夢が無ければ、大学生活からは本当の充足感は得られない。人生に対する初めての“壁”だった。
 
 その時、公園の新緑の木々のこずえの向こうから風が吹いてきた。その風が僕に行った。
 「北へ行けよ・・・。」
 「えっ?北へ行けだって?」

 人生で初めて聞いた風の声を信じた僕は北へ向かった。いや、逃げた。いくら希望の大学へ入っても、夢が無ければ日々の現実はむなしいだけだ。自分の内臓感覚の命じるままに動いてみよう。

 二万円と50ccバイクが旅の道連れ。制限速度の30キロを守りつつ、初めて見る土地、初めて切り開く未来の予感に震えながら、僕は日本列島をだらだらと北上した。
 
 青森で残金三十五円になった僕は、幸運にも短期のバイトにありつき、その金で津軽海峡を渡る。初めての北海道。僕の青春の土地だ。一気に層雲峡まで走り、住み込みで働き始めた。朝五時に起きて観光客に自転車を貸す仕事をしながら、僕は二十歳の誕生日を迎えた。ゆっくりと明けてくる二十代初めての朝日に染まりながら、自分の道を歩いているという実感だけがひりひり僕の肌を刺した。誰も祝ってくれないひとりぼっちの「成人式」。

 北海道では、行く先々の公園で寝袋にくるまって寝た。ホームレスの人たちとも知り合いになった。故郷や大学から遠く離れ、どん底の生活だったが、同時にどん底から物を見ることの大切さを体に染み込ませた。

 「understand(理解する)」という単語の語源は、「under(下に)」「stand(立つ)」だ。相手を理解することは相手の下に立つこと。教師ならできない生徒の下に立ち、政治家ならホームレスの気持ちを自分のように感じること。それ以外を「理解」とは言わない。

 三ヶ月の旅のラストは函館。そこに「BOP(バップ)」という名のジャズ喫茶がある。そのそばの公園で一週間寝ながら、BOPでひたすら詩集を読んだ。ある雨の日、マスターは僕を店に泊めてくれ、そして言った。「君はとてもぜいたくな旅をしているんだね」

 その言葉は、負の方向に逃げてばかりいた僕の後ろめたい心を一挙に解放してくれた。やむにやまれぬ自分の生き方なら、それがどんなに負の方向に向かうように見えても恥じることはない。いや、それこそが唯一自分へ向かう旅なのだ。成人式が「ひとりぼっちの旅」のスタートであってほしい。「tough(タフ)」な旅だが、一度限りのすてきな出会いがきっと君を待っている。

 P.S. 実はBOPは2008年4月に火災にあって、昔あった五稜郭からJR函館駅に近い新川町に移転したのですが、新しいBOPを作ろうと頑張っているところです。今年の11月にはBOP40周年記念コンサートも開催の予定。来年受験に受かった後、是非、君の青春の地図の1ページにBOPを加えてやってください。

2010年6月1日

Dreaming by Aborigine

Filed under: blog — Nishitani @ 11:26 PM

 20年以上も予備校で講師をやっていると、さすがに教えた生徒の数も増え、そうした生徒が、何年かぶりにふらっと僕に会いに来たりすることがある。自分としては不思議な感覚の中に引き込まれてしまう独特の経験だ。
 
 彼らはたぶん、多感な18歳前後の時期、不安と隣り合わせになりつつも、自分を必死に前へ押し出していた日々に、身近にいて少しでも感受性を共有した大人にもう一度会いたいと思うのだろう。その人に会うことで受験以後今まで生きてきた道程のようなものをおそらく確認したいのだろう。彼(彼女)は、何年かぶりに突然、僕の前に現れる。

 僕はといえば、その彼(彼女)の目の中にふと自分が彼らの中に残した痕跡のかけらを見つけてハッとする。その瞬間は、自分を肯定してもゆるされる、人生の中でごく短い時間の1つだ。自分の歩いてきた人生の痕跡を自分の内部ではなく、他人の瞳の輝きの中にふと見い出すということ。

 今年の2月に1ヶ月程オーストラリアを旅した時、心に深く残った経験がある。それは、アボリジニの考えにじかに接することができたことだった。彼らの天地創造の神話(彼らは今から数万年前にアジア・アフリカからオーストラリアの北部に至り、しだいに南下して自分たちの住む土地を切り開いていったらしい)にdreamingという考え方がある。以前にも書いたことが、アボリジニにとってdreamとは「生活すること」であり、かつ、「旅をすること」でもある。日々の生活が惰性的になることとはまったく逆に、日々の生活が新鮮な刺激や出会いに満ち溢れた旅であり続けること。そして、その生活という旅のプロセスの中で自分が確かに生きていた痕跡を残し続ける行為こそがdreamingなのだ。

 僕はそのdreamingという人生の旅の痕跡を、ふと再会する生徒の瞳の中に感じ取る。その時間はどんなにそれが一瞬であれ、自分という存在にとって永遠のものであって、こんな僕であれ、それでも僕という存在を生かし続けてくれるとても貴重な一瞬なのだと思う。

2010年5月24日

I Remember Kiyoshiro

Filed under: blog — Nishitani @ 10:48 PM

 キヨシローって知ってますか?知ってるよね。去年亡くなった、rock musicianのキヨシローです。このあいだ、渋谷のデパートで写真展があって行って来たんだけど、生きている時のライブパフォーマンスのshotの数々が実に生き生きと写し出されていました。まさに写真というのは光を一枚の紙に固定する形で一瞬の輝きを永遠化するパワーがあるね。(たぶん、僕らが好きな人の写真を肌身離さず持っていたいという気持ちは、おそらく、その人の体から出た光が写真に物理的に固定化されているからだと思うのですが・・・)

 僕は自分の子供が昔、上原小学校に通っていてキヨシローの子供さんも何年か上の学年にいた縁で、当時やっていた旺文社の雑誌(アルシェという受験生向けの雑誌の連載を書いたり、有名人との対談をやっていた)に登場してもらったことがあるんです。渋谷の桜ケ丘の事務所で初めて会ったキヨシローはとてもシャイだった。彼はポケットから取り出したシガレットをまわりの空気を感じて、そっと自分のひざの上に置いた。つまり、人に思いやりのある本当にシャイな人だった。その時の彼との対談で1つ心に残っているのは、彼が受験生に向けてボソボソと話したことば。「大事なことは何かを好きだって言えること。人生で本当のことって『好き』なことを追いかけるってことだよ」とキヨシローは言い切ってくれた。考えてみれば、キヨシローほど好きなことを、全身全霊で追っかけたやつもいないだろう。だけど、間違わないでほしい。日本社会で好きなことを追っかける位大変なことはないのです。キヨシローは何度も何度もくりかえしくりかえしバッシングを受け、つぶれそうになりながら、その度ごとによりパワーアップしていつでも復活してきた。まさにRockだ!Kingだ!Yeah!

 彼のライブパフォーマンスで心に残っているのは、まだ彼がデビューしてまもない頃の、日本青年館で行ったものだ。客は20~30人位だったと思う。だけど、その時の彼は、武道館で何万人かの客相手にやる時と全くかわらず、あるいはそれ以上にエネルギッシュだった。ファンも超ノリノリでサイコー!だった。たとえ客が何人でも自分の好きなことに必死で打ち込む彼の姿は僕の心に今も、これからも永遠に焼きついている。彼は死んでも彼のスピリットは残る。彼が歌に託した愛と夢はビシビシ世界中に響きわたっています。

2010年5月23日

神話的な知の方へ

Filed under: blog — Nishitani @ 9:26 PM

 「・・・最後の蝶が一匹、谷間の上の方をめざして飛んでゆく。何日か前にぼくらがもぎ取ったトウモロコシの茎のてっぺんにふっととまった。羽を開いたり閉じたりすることもなく、じっととまって待っている。食べものを貯めようなんて気はない。まもなく死んでしまうのだ。彼は自分が死ぬことを知っている。こいつは並みの人間よりずっと賢い、と祖父が言った。蝶はせまってくる死にいささかもうろたえない。自分が生まれてきた目的ははたし終わった。そして今やただひとつの目的は死ぬことにある。だから、トウモロコシの茎の上で、太陽の最後のぬくもりを浴びながらまっているのだ。」
                                   『The Education of Little Tree』(フォレスト・カーター著)

 生きものの死をとらえたとても美しい描写です。この蝶の穏やかな死のイメージは、この蝶が「自分が生まれてきた目的ははたし終わった」と感じるところから来るわけだが、では、どれだけ多くの人間が「自分が生まれてきた目的ははたし終わった」と感じて死ぬことができるだろうか。

 動物や植物の生と比べて、人間の生活はあまりにも複雑になってしまったために、日々の生活を生きることに100%の満足感をもち、そして死んでいくということが多くの人間にとって、とても困難になっている時代のように思える。だれであっても、その人に固有の生き方というのは必ず存在するはずで、それをシンプルに太く生きることが人間にとっていちばん幸せであるはずなのに、それができないでうろたえている、あるいはその答えを自分から探しだすことができない人間がますます増えている。

 何か答えの出ない問いの方へ向かって走り出した気がするが、少なくても僕たちは日常の情報的な知識から少し離れて、自然の営みをじっくり観察してみる、あるいは、音楽や文学、神話的な知恵の中で自分に響いてくるものとだけゆっくり対話してみる必要はあると思う。そうした感性を、日常の忙しい中でたえず中心軸に据えながら生活していければ、もう少し生の充実感を感じることができるのではなだろうか。

 オーストラリア原住民であるアボリジニの〝dream″ということばに含まれる意味はそのことを示唆している。
彼らのいう〝dream″とは「生活し、旅をすること」。生活するということは、限りなく豊かなこの世界や宇宙、そして自然の中を、日々新しいものとの出会いを求めて、あるいは、自分の内部のまだ見ぬ自分との出会いを求めて、見慣れたようで実は見慣れぬ森の中を一歩一歩手探りで旅をしていくことなのだ。

2010年5月13日

夢と目標

Filed under: blog — Nishitani @ 12:31 AM

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
                     『農民芸術概論網要』 宮沢賢治

 正直、このことばを高校生のときはじめて知ったとき、自分はこのことばに何か嫌な響きを感じたと思う。
人間ここまでストイックに生きられるはずはない。だったら、そこまで言うのは偽善じゃないか。

 それから長い人生の時間が流れてこのことばは僕の人生にとって切実な響きを持ちはじめているように思う。
ちょうど初対面で嫌な印象を持った人間が、そのあと、その実質がだんだんわかってくるにつれて、自分にとって
唯一無二の親友になってくるように。

 ところで、夢は大きければ大きい程いいと思う。もちろん上述の宮沢賢治の夢はでかい。それよりでかい夢を持ってる奴なんていないだろう。ただし、夢が大きければいいといっても具体的な目標を確実に設定し、乗り越えていくという条件付きでの話だ。僕たちは何か大きなことを達成しようと思うとき、それに使える時間をうまく分割しながら、その時々に応じた具体的な目標設定を行う。そして、その段階的な目標の一つ一つを確実にこなしたことで得た「自信のカケラ」をエネルギー源に次の目標へと向かい、そのくりかえしの中で「自信のカケラ」を寄せ集め、大きな自信を作り、人生の壁を打破しようと頑張る(=breakthrough)。

 たぶん、僕にとって宮沢賢治の上述のことばが、嫌な響きから自分にとって切実な響きへと転調していったのは、自分の人生における一つ一つの目標を確実にクリアーしていったプロセスの中での変化だったと思う。仮に、自分がどんなに幸せになったとしても、例えば、となりのホームレスの人々が寒さでふるえていたり、アフリカの子供が飢えで苦しんでいるのをTVで見るなら、自分はほんとうに幸せだとは言えないのではないか。「自分の幸せ」というエゴを満たすためには、より多くの人々の幸せを志向せざるを得ないのではないか?

 そんな時、ココ・シャネルの言葉が僕を後押しする。

 「人間、どのように生きたかはさほど重要ではないのです。 
 大切なのは、生きている間にどんな夢を見ていたか、ということ。
 なぜなら、夢はその人の死んだ後も 生きるのですから。」

  ここからの話はむちゃ振りだが、W杯日本代表監督の岡田さん(個人的にはとても好きな監督だが)に飛ぶ。彼は目標の立て方がいささか走りすぎだと思う。「我々の目標はベスト4」だという前に、6月14日のカメルーン戦の引き分け以上を具体的目標として絶対実現すべきである。それが全てだし、すべてはそこからだ。何としても前回のW杯の二の舞だけはしてほしくない。これは僕はもちろん、すべての日本のサッカーファンの共通の願いだろう。
まずの目標はカメルーン戦、次は予選リーグ突破、次はベスト8、そしてベスト4・・・。

 ちなみに、僕のサッカー日本代表に求める夢はワールドカップ優勝だ。僕は日本代表がワールドカップで優勝
できるまでは絶対死ねないと思っている。 
                                                             -大宮にて。

2010年5月10日

ごちゃごちゃ口出ししない

Filed under: blog — Nishitani @ 7:45 AM

 「・・・夕食はのどを通らなかった。好物の豆と、トウモロコシパンだったが。食べながら、祖父がぼくを見つめて
言った。「なあ。リトル・トリー。おまえの好きなようにやらせてみる。それしかお前に教える方法はねえ。
もしも子牛を買うのをわしがやめさせてたら、おまえはいつまでもそのことをくやしがったはずじゃ。逆に、買えと
すすめてたら、子牛が死んだのをわしのせいにしたじゃろう。おまえは自分でさとっていくしかないんじゃよ。」
                                  『The Education of Little Tree』(フォレスト・カーター著)

 少年(リトル・トリー)はさんざん悩んだあげく、自分が大切に貯めていたなけなしの金50セントで子牛を買う。
子牛が元気ならとても買い得だったのだが、子牛はその後すぐに病気で死んでしまう。つまり、まんまとだまされたわけだ。祖父はおそらく、その結果が予想できたのだが、あえて買うのをやめとけなどという指示を少年にしなかった。その後の祖父のことばがこれ。
 ここからのlesson【教訓】は明らかだろう。つまり、人間が成長するのは自分の決断でやったことを通した場合のみであるということだ。
 
 僕にも同じような経験がある。あまり他人にはいいたくないことだが、大学に入りたての頃、東京の荻窪で道を歩いてたら、突然、車の中の人に呼び止められて、デパートの品(ライター)だけど余りが出て、安く売るから買わないかとむりやりさそわれ、つい買ってしまったが、実は・・・というような経験だ。情け無いことだけど、しかし、その時のことはしっかり覚えていて、今でも表面上の旨い話には決して安易に乗らないようにしようと心がけている。みなさんにも同様の経験はあるでしょう。情け無いけど、心にしっかり残るという経験。これはとても大切な宝物になる。

 僕は教育の究極の理想は、生徒に教えることではなく、生徒に好きなようにやらせること、それを落ち着いて見守ってあげること、そして、必要であれば、結果についてともに話し合うことだと思っている。それでもお前は教師かってお叱りを受けそうだが、learn【学び身につける】ということばの本質はやはり、まず、自分の責任で決断し始めること、そして、たとえ失敗しても、その失敗を通して学び身につけていくこと、これ以外にはないと思う。
                          
 ということで、本日は情け無い経験だって時にはいいものだよ、ということでした。

2010年5月3日

2010年の夏期講習へむけて・・・

Filed under: blog — Nishitani @ 11:33 PM

もう今年もその1/3が終わったね。今年志望校にうまく入れなかった人にとって、2010年の1月~4月の4か月は、もう本当にめまぐるしく大変な4か月だったでしょう。人生の過酷な側面、また、その時垣間見える人間の意外なやさしさ、その他色んなことを味わった4か月だったと思う。だから、せめて今年の中間の1/3(5月~8月)は
右肩上がりの着実な上昇期にしたいものだね。
そのためにも早く勉強の土台を作り、自分のペースを把み、勉強を軌道に乗せてください。
言うなれば5月~6月は受験の土台作り、7月~8月の夏期は受験の基礎学力の確立期です。
このHPのレクチャーのパートに僕の夏期講習の講座説明をupしたので是非見てください。
そして、この5月~8月を充実させ、基礎学力を確立させれば、まず偏差値10upは間違いないと思うし、それが後半の1/3(9月~12月)をうまく乗り切る原動力・貯金になってくれます。だから、この4か月の勉強の方向性をしっかり見極め、そして作り、偏差値10up(8/31まで)の軌道をバク進しよう!
もう、bullet train(新幹線)は新横浜をすぎたあたりだよ。

2010年5月1日

四月の雨

Filed under: blog — Nishitani @ 10:04 AM

 「四月の雨は心地よく、気持ちを昂ぶらせるが、同時に悲しみを誘いもする。祖父はいつもこの時期、
綯い交ぜの感情を味わうという。なにか新しいものが生まれつつあるから気持ちが昂ぶる。だが、そこに
とどまっていることはできない。すべては束の間に移ろいゆく。だから悲しいのだ。」
                               『The Education of Little Tree』(フォレスト・カーター著)

 たとえば四月の雨が僕たちの心にふともたらす感慨―心の昂ぶりや悲しみ―は僕たちの心と自然の存在
とのある種の共感(コレスポンダンス)を示している。
古来こうした感性は日本人にとって固有のものであったと思う。その共感がなくなったとは言わないまでも、
ずいぶん少なくなったような気がする。ただ、ものごとの始まりと終わりにまつわるこうした感慨は、人が年を
重ねるにつれて、つまり、そうした経験の回数が増えていくにつれ、より実感されていくものだろう。
もちろん、そうした経験の深まりに対し、ある意味マヒしてしまい鈍感になるというのも、生きている上である
意味1つの人間的な知恵かもしれないが・・・

 そういえば、宮沢賢治が、妹トシが亡くなった後書いた詩「青森挽歌」の中で次のように言っているのを思い出す。

感ずることのあまりに新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもってばかりゐてはいけない
ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか

 年を重ねるにつれ感性がより研ぎ澄まされていくか、あるいは鈍くなるか、この格差は広がるばかりだろう。
これは是非の問題ではないが、深い悲しみはより深い喜びを感じるための条件であることは古来ギリシアの
昔から変わらない人間性の真実であると思う。

2010年4月27日

理解そして愛

Filed under: blog — Nishitani @ 12:31 AM

「言葉がもっと少なかったら、世の中のごたごたもずっと減るのに、と祖父は嘆く。
・・・祖父は言葉の持つ意味よりも、その音、あるいは話し手の口調のほうに大きな関心を払った。
言葉のちがう人たちの間でも、音楽を聴けば同じ思いを共感できる、と言う。それには祖母も同じ意見
だった。祖父と祖母が話しあうときがまさにそうで、交わす言葉の音とか口ぶりが大きな意味を持って
いた。

祖母は名前を『ボニービー(きれいな蜂)』と言った。ある夜遅く、祖父がI kin ye,Bonnie Bee.と
言うのを聞いた時、ぼくにはそれがI love you.と言っているのだとわかった。言葉の響きの中に、
そのような感情がこもっていたからだ。

また、祖母が話の途中でDo ye kin me,Wales?とたずねることがあった。すると祖父(Wales)は
I kin ye.と返す。それはI understand you.という意味である。祖父と祖母にとっては、愛と理解は
ひとつのものだった。祖母が言うには、人は理解できないものを愛することはできないし、ましてや
理解できない人や神に愛をいだくことはできない。」
                         『The Education of Little Tree』(フォレスト・カーター著)

自分にわからないものをどうしたらもっと理解できるだろうか。
僕は高校1年の時、不登校になって叔父の運営する知的障害児の学校で1か月程生活したことが
ある。知的障害児と生活することは自分の中では初めての経験だった。戸惑うことも多かったし、
ずいぶん失礼なこともしたり言ったりしたのではないかと思う。ただ彼らと一緒に近くの山を伐採して
ちょっとした牧場を作ったり、マラソン大会では一緒に15km程を走ったと思う。根気が続かず、
すぐ別のことをやる子もいたが、忍耐強く単調な作業を黙々とこなす子もいた。マラソンでは走力に
自信があった僕だが1人だけどうしても敵わない生徒もいた。夜、僕の部屋にやってきては僕の事に
興味を持ってくれてナイーブな感じでいろいろ質問する子もいた。みんなひとりひとりが自分の人生に
前向きであることが痛いほどわかった。

・・・単純だけどこうしたことが1つの理解だと思う。どんな物事でも先入観で排除せずによく事実を
見て、耳をすましてよく聞き、そして理解すること。世界への愛が芽生える場所はいたるところにこ
ろがっている。

もう一つ、とても感動的な親子のコミュニケーションを紹介しよう。
この親の子供への対処の仕方は必ずしもいいものとは言えないけれど、親と子の切ないような愛情
が伝わってくる。

『・・・おまえ(リトル・トリーのこと)にはまだわからんじゃろか、無理もない。わしには奴らの胸ん中を
のぞきこむチャンスがあったんじゃ。何年も前になるが、ある小作人の掘っ立て小屋のそばを通った
ときのことさ。裏の空き地に二人のちっちゃな女の子がおった。木陰でツアーズ・ローバック(シカゴを
本拠地とする通信販売会社)のカタログなんかを見ておったよ。そこへ小屋から男が出てきた。男は
小枝を手にしてな、そいつでもって、女の子の足を血が出るまで引っぱたいた。わしはやぶの陰から
一部始終を見てた。父親はカタログを取り上げると納屋の後ろへ行って、ビリビリに破ってから燃やし
ちゃったよ。カタログを目の敵にしているみたいじゃった。それから納屋の壁に向かって腰を下ろし、
泣きはじめたんじゃ。誰かがのぞいてるなんて思いもよらなかったんじゃろうな。それを見て、わしにも
わかったのさ。
いいか、おまえはものごとをきちんと理解しなきゃいかん。たいていの人は面倒だから理解しようとせん。
それで、自分の怠け根性を隠そうと、やたら言葉を吐き散らすんじゃ。おまけに他人のことを『役立たず』
と決めつける』

この父親の子供を思う愛は限りなく純粋だと思う。

2010年4月16日

楽しい自立

Filed under: blog — Nishitani @ 12:20 AM

…「祖父が言うには、人にただ何かを与えるよりも、そのつくりかたを教えてあげられたらなおいい。
そうすれば、相手は自分の力でうまくやってゆくだろう。与えるばかりで教えなければ、一生与えつ
づけることになりかねない。それでは親切のつもりがあだになる。相手はすっかり依存心を起こし、
結局自分自身をうしなってしまう。
 ある人たちはずっと与えつづけることを好む。なぜなら、そうすることによって自分の見栄と優越感
を満たすことができるからだ。本当は相手の自立を助けるようなことを教えてあげるべきなのに。」
         『The Education of Little Tree』 (邦題『リトル・トリー』) フォレスト・カーター著

 僕の大好きな本の1つに『リトル・トリー』(めるくまーる社)というのがあって、リトル・トリーはアメリ
カンネイティブ(インディアン)のまだ小さな子供で、両親が早くして死んだために、森に住む祖父母
に預けられています。彼は森の中で、自然から、祖父母から、動物たちから様々なことを学ぶのです。
そうした自然や老人たちの教えは、現代の我々が失ってしまった生きていく上での大切な知恵を数
多く含んでいるように思えます。
 このBlogではその中のいくつかを紹介しつつ、生きる上でのささやかなヒントをお互いが発見できれ
ばいいなあ、と思っています。
 そのスタートが上述の祖父のことば。やっぱり、教育の原点は「自立」です。ここ数年僕が教師をし
ていて気になるのは自分の力で決断できない生徒の増加です。こういうことをいうとオヤジ臭いと思
われるかもしれませんが、やはり、確実に増加しています。その原因はいろいろあると思うのですが、
例えば、日本社会が豊かになり安定したこと、それに伴う少子化、さらにそれに伴う親の子供に対す
る過保護、教師の生徒への媚び、へつらいなどなど・・・。
 これを生徒の側から考えると、こうした自分の決断を阻むものに従って、自分で決めず、信頼する
他人に物事を決めてもらうことは、ある意味ラクだということです。しかし、これには大きな落とし穴が
ある。こういうことを続けていると、他人の奴隷になってしまい、あることがうまくいかないと、自分では
なく他人を責めるといったとても傲慢な人間になってしまう恐れがあるのです。
 あわせて、将来、自分が就活をする際にとても不利になってしまう。すぐれた企業の求める人材は
自分の決断力と責任で難局を打開し、新しい方向を切り開いていける人間だからです。特に不況な
らなおさら。
 ということで、まあ焦る必要はないのだけれど、受験を通して1つ1つの小さな目標を自分で立て、
それをクリアーすることで、小さな自信のカケラを積み重ねていこう。僕はきみにその目標の立て方
とクリアーの方法を教えてあげられると思う。そして、その先にあるのは志望校への合格であり、さ
らに自立した人間として生きる充実感なのです。

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