2014年8月27日

2014.8.27

Filed under: blog — admin @ 3:14 PM

今、ギリシアのパロス島にいる。
はるか2000年以上も前にギリシアの神々の神殿を作るために大理石を切り出した
このエーゲ海の小さな島で、2014年8月終わりの日本の現在とインターネットで繋がっている。

時間は過ぎて行く。変化するものがある。変化しないものがある。

何か外的な圧力によって当たり前のように続いた日常が急に変更されることがある。
自分の原点に立ち帰るいい機会だ。

自分の進むべき方向とは?
何を繋ぎ、何を捨てる?変わらない確固としたものがどこにある?

突然鳴き出したセミの声のように、アルチュール・ランボーの詩の一節が響いている。

もう秋かーーそれにしても何故、永遠の太陽を惜しむのか。
俺達は清らかな光の発見に心ざす身ではなかったかーー
季節の上で死滅する人から遠く離れて。

2014年5月28日

旅パート2 ‟You ’re the reason I’m travelin’ on”

Filed under: blog — Nishitani @ 9:46 PM

時の流れは空間の影響を受ける。
東京から田舎の高知に帰郷すると、時間の流れがとたんに遅くなる。
縁側の軒下で本を読みながら、陽のやわらかさに目的性のない充実感を感じている。

夜、かつおのたたきを肴に旧友と飲む。
彼は、中学・高校時代の友人で、二人で飲むのは実は今日が初めてだ。

彼が中3の時、クラスメートが日替わりでつける学級ノートに
‟I’m a child”というNeil Youngの歌のタイトルをのせていたことがある。
前後の文脈はすっかり忘れたが、とにかく、彼の文字の筆跡まで鮮明に記憶に残っている。

彼は最近、Bob Dylanのコンサートに行ったそうだ。
片道6時間かけてバスで行ったらしい。
いかにも彼らしいと思う。
Dylanのコンサートを聴くにはそうあらねばならぬ、ということなのだ。
その人らしさは、その人が生きてきた時間の中で結晶することを再確認する。
その結晶が、じぶんのなかのこどもということになるのだろう。

新聞社の幹事をしている彼の書く文章は信頼がおけるだろうし、
彼という媒体をろ過する形で、丹精込めて作り上げた
すばらしい手仕事になっているのだろうと思う。
何しろ、6時間もかけてバスで行くのだから。

ところで、Bob Dylanの歌詞は難解だが、ある一節が現実の出来事以上のリアリティーで
感じられることがある。
例えば、You ‘re the reason I’m travellin’ on.(Don’t Think Twice,It’s All Right.の中の一節)

旅する理由は、旅の数だけあるだろうが、それが恋人でも、友人でも、
親であっても、「きみ」がいる、ということが、「僕」が旅するほんとうの理由じゃないのか。

「サヨナラダケガジンセイダ」ーたしかに、そのとおりだろう。
だが、別れを強く感じられる人間がいるということは、
それだけ深い出会いがあったという証でもある。

 例えば、「きみ」が「恋人」ならこんなふうだ。
I once loved a woman. a child I’m told. 「かつて女性を愛した。あなたは子供ねと言われた。

I gave her my heart but she wanted my soul. 僕は心を与えたが彼女は僕の魂を欲しがった」


恋人との別れは、その傷を癒す旅の中で、例えばこんな風に思い出されるのだと思う。

「きみ」といつまでも一緒にいることはできないのだ。

「きみ」と別れるために、そして、いつか、「きみ」と、遠く、どこかで再会するために、
「僕」は旅をする。

                     soloist(ソリスト)が好きな久武へ


2014年3月15日

Filed under: blog — admin @ 6:58 PM

今、ポルトガルにいる。四国の地震のことでいろんな方から心配して頂いたが、
悪運強く、地球の裏側でそのニュースを知った。

ポルトガル語など全くわからず旅に出たが、英語と身振りと予想でなんとかあてもない旅を続けている。
旅先で覚えたその土地の言葉を使うことはとても楽しい。
取れたての新鮮な果実から作るフレッシュジュースのようなことば。
あるいは、小津安二郎の映画のタイトルのような懐かしい響きがする。
Bom dia!(ボンディア 「おはよう」)

リスボン(正式にはリスボア)から東へ出て、スペイン国境近くの村Momsaraz(モンサラージュ)に来た。小高い丘の上、城壁に囲まれてある村で、人口はおそらく何百人だと思う。

夜、地元のBarに行く。FCポルトとナポリの試合(欧州リーグ)で盛り上がっていた。
客は土地の人ばかり。いつもの顔なじみだけ。

「この村で生まれこの村から出ることなく死んでいく人もいる 」そうだ。

そういえば、村の裏手に墓があった。静かで、そこから遠く広がる平原を見渡せる位置にあり、毎日陽の当たるとても素敵な墓だ。
こんな墓なら入りたいと思った。墓を素晴らしいと思うなんて人生ではじめてだ。

この村の人達の生き方は素朴そのものだと思う。
Barにいる人たちを見ていると、とてもシンプルに人生を楽しんでいるのがわかる。
いったい、いつ僕はシンプルであることを楽しむことができるようになれるのだろう?

翌日、Monsarazからスペイン国境に沿って車で北へ行く。
行き先は未定。ナビもない。1枚の地図だけを頼りに初めての道を、
おそらくは一回限りの道をただひたすらレンタカーで走る。
プジョーの左ハンドルのマニュアルで。

またいつか、Monsarazに戻ってきたいと思う。
その時は、今の自分とは少しだけ違っていられたらとも思う。
たぶん、今でも旅ということの価値を信じているのだ。
ポルトガルに来る前に読んだ、On the Road(Jack Kerouac 邦題は『路上』)の一節を
何度も何度も思い出しながらハンドルを切っている。

“By God,I gotta come back and see what else will happen!”
なんだこのザマは!今度、ここに来る時は、きっと違った自分になっているから!


高知や四国の人達ができるだけ無事でいてくれたらと願っている。

3.14.2014

To Hisatake

…I’m still a child.

2012年6月4日

「夢の時間」-dreamtime

Filed under: blog — Nishitani @ 11:25 PM

 6月5日(2012年)に『dreamtime』(PHP研究所)が出ます。
今まで僕の書いた本の中ではまちがいなくbest1です。
執筆にかけた時間も以前の本にかけた時間のおよそ3倍以上で、推敲に推敲を重ねました。
今まで僕に関わってくれた方々には是非読んでほしい本です。もちろんそうでない人にも。

3.11以降おそらくは全ての日本人が何らかの意味で生き方の地殻変動を経験せざるを得ない中で、僕なりの1つの答えとまではいかないにしても、1つの意思表明がこの本の中にあります。

 さて、視聴ならぬ、試読ということで冒頭の部分を引用するので是非読んでみて下さい。
本全体のテーマが響いていると思います。

 「ローマの町を歩いていると、よく見かける光景がある。
 
古代から中世、そして近代のルネサンスへと至る様々な遺跡や絵画、建築が点在する中で、道端で物乞いをする人々がいる。
まだ幼い子供を肩車して哀れな表情を装い小銭をせびるジプシー、路上に蹲るようにして座り込み、寄付を求める老婆、両肘から先を失った男性は、それを隠そうともせず、四つん這いになってその両腕をダラダラさせながら、盛んに何かをくれという表情でこちらを見ている。
 

町のあちこちで見かける古代ローマの遺跡が二千年近くたった今でも、その存在をしっかりと主張している一方で、それ以上の存在感を持って人間の意識を引きつける、そうした人々の圧倒的な吸引力。こちらは、何か見てはいけないものを見てしまった感覚に陥り、一瞬どうしていいか戸惑うが、あえて無視してそこを行き過ぎる。

 人間の弱さは力だと思う。その力は僕らの情念の深い部分に届いて、僕らを揺り動かそうとする。
ただ、その弱さにも二種類ある。弱さに居直り、その弱さを売りにして生きていこうとする姿勢と、自らの弱さを認めつつも、自分にはそこから何ができるかと弱さからの自立を求める姿勢の二つだ。前者は言わば、負の弱さ、弱さに溺れる弱さであり、後者は弱さの中にある強さ、弱さを知ったがゆえの強さだと言えると思う。
 

 弱さというのは、それが肉体的なものであれ、精神的なものであれ、それが存在するということではすべての人間に共通する。その意味で、僕の個人的な考えでは、弱さは必ずしもそれを克服する必要はないと思う。もちろん、ある程度改善できる弱さもあると思うが、僕の言う弱さとは、もう少し根本的なもので、たとえば自分の肉体のある部分にコンプレックスを持っているとか、精神的にトラウマがあるといった、自分では変えようがない性質のもののことだ。

 そうした弱さはまずそれを認めたうえで、自分がそこから何ができるかを考えた方がいい。たとえば、僕のよく行くジムに、右手の肘から先のない男性がよく来て、マシンで筋トレをやっている。彼は坦々と左手だけを鍛え、足や腹筋のトレーニングを続けている。

 僕の好きなジャズミュージシャンにチェット・ベイカーというトランペッターがいる。彼は若い頃、甘いマスクと中性的なボーカルで、男性ばかりか女性にもとても人気があり、マイルスを凌ぐほどの勢いがあったが、麻薬に溺れてしまい、金銭上のトラブルからジャンキーに歯をすべて抜かれてしまう。トランペッターにとって歯がないということは致命的である。

 しかし、彼はそこから再起する。

 ガソリンスタンドでバイトをして、生活費を稼がざるを得ないところまで、かっての栄光から落ちてしまい、以前の甘いマスクはもう見る影もないほど老いぼれてしまったチェット。それでも、彼の吹くバラードには、若い頃の彼以上に青春のリリシズムが溢れている。・・・・・」

 テーマは弱さのもつ力について。自分の弱さを弱さとして認識するところから何がはじまっていくか。
本の中で述べているように弱さには二つあって、だれしもそれを共存させていると思います。つまり、弱さに居直る負の弱さと、弱さをバネにして自立の方へ向かうほんとうの強さの根源をなすであろう弱さ。この二つの弱さは、すべての人間の中で絶えずせめぎ合っていて、その出方次第でその人の真価も決まるんじゃないかと言ってもいいほどです。

その出方の事例を僕の個人的経験の変貌という形で各4章それぞれ8~9のエッセイで構成しています。是非、きみの個人的経験をそれに重ねるようにして読んでみて下さい。
そこから生まれる和音あるいは不協和音は全体としてきっと、きみの世界をより深く豊かにしてくれるはずです。

 また、全体で35のエッセイのそれぞれには僕が英語教師としての仕事に関わる中で、僕の心に深く残った英語の単語や文からの思考の広がりが書かれていて、それが前出のエッセイとコラボして響き合っています。

 例えばその1つ。この本のタイトルになっているdreamtimeについて。

 「dreamtime―オーストラリアの先住民族、アボリジニの言い伝えにある神話的な時間のことだ。
人間はこの世界に生まれ、生活し、旅をし、その痕跡を何らかの形に顕し、死んでいく。そういった時計の時間に左右されない、自分らしい生き方をする時間が「dreamtime」だ。

 ミヒャエル・エンデの童話『モモ』のサブタイトルは、「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」だが、現代人は、かって以上に収入だけのための仕事や生活に追い立てられ、自分らしい時間の流れる生き方を奪われてしまっている。モモはどこかに出かけたまま戻っては来ない。

 そんなとき、アイヌやアメリカンネイティブやアボリジニたち先住民族の生き方が単なるノスタルジー以上の切実さで僕らの生き方にその存在感を主張する。この世界の中で自分らしい生活をし、心の赴くまま自由に旅をし、その中で深く心に残った痕跡を記録にとどめていくこと。僕らの生きる「夢の時間(ドリームタイム)」がそこにある。

 しかし、それは「夢」の時間でありつつ、全ての人間が生きて経験せざるをえない「現実」の時間でもあるのだ。そうした時間をお互いが共有し、引き継ぎながら作られていくものこそ「文化」だと僕は思う。」

 
 このdreamtimeということばは、この何年かで僕が最も心をひかれたkey-wordの一つで、まさにこのことば通り、僕が僕の人生を生き、旅し、考えたことの痕跡がこの本の中に残されていると思います。
つまり、僕だけの「夢の時間」。そして、それはこうした書籍という形で限りなく広がっていく可能性をも秘めているものです。

 最後に、企画、発案、構成、編集等全てにわたって、僕とここまでずっと一緒にやってきてくれたPHPの池口君なしにはこの本は絶対に存在し得なかったという事を付け加えておきたいと思います。

                                                            西谷 6,4,2012

 

2012年3月27日

やっと本を書き上げた!

Filed under: blog — Nishitani @ 7:38 AM

 予備校講師はユメオヤジ。
2005年、僕が早稲田大学の大隈講堂で行った講演会のタイトルだ。
大隈講堂(約1300人位収容できる)に入りきれない人であふれた。

僕にとっておそらく、最も記憶に残る講演会。
話す側と聞く側との完全なコラボレーション。
両者の刺激的なインタープレイからくる完璧なインプロバイゼーションがあった。

それから年が経ち、自分にも世界にも色んな事があった。
その間に考えた事、感じた事を自分なりに一冊の本の中にまとめてみた。

まだ、本のタイトルや発売日は未定なのだけれど、たぶん今年の中頃には出ると思うし、
内容からみたタイトルは先程の「予備校講師はユメオヤジ」が自分としては気にいっている。
早稲田の講演会よりも熱く、深く、多くを語っているといえる。

そして、その本の中には僕の若い頃のdreamtimeが流れている。
つまり、自分がこの世界に生まれ、自分らしい生活をし、気の赴くまま旅をし、
そこで深く心に残った事を生きた痕跡として記録に残すこと。
また、3.11以降の1年で書き上げたこの本は、間接的だが自分なりに震災を受け止め、
そこから未来へと踏み出そうとする意志が出ていると思う。

この本は2部構成だ。1つは体験的人生論。僕が20 代~30代で生きて考えた事がぎっしりつまっている。
その20年の僕の人生は相当ドラマチックだ。一言で言って29才を底としてV字型の人生。
その絶対値は相当高い。
例えば、年収は20代から30代にかけて、100倍になった。仕事にかける情熱も対極的だ。

もう1つは英語を通して考えた事。僕は人生において「好き」を「得意」とできた人は幸せだと思う。
20代の終わりになるに従って、僕の「好き」はひとつひとつ消えていったが、
太陽の沈んだ後に輝く星のように最後にのこったものがあった。
それが「英語」だった。
それを通して僕が考えた事をまとめた。

 体験的人生論→英語を通して考えた事→体験的人生論→・・・。いわば両者のDuo、かけあいだ。
そこにある意味で主観性と客観性がぶつかりあい、前者が後者を通して深まり、
後者が前者によってリアルさを高めている。

テーマは、文学・童話・人類学・音楽・哲学・宗教・映画・旅・ワイン・サッカー・恋愛・・・と実に多岐にわたる。

僕という一個人をフィルターとしたエキスがつまっている。

この1年半あまりブログをろくに更新もせず、迷惑をかけたひとつのお詫びがこの本にはある。
今までのどの本よりも自分が出せたと思うし、内容的には自分なりにかなり満足している。
できれば、日本の20~30代の全ての人々に読んでほしい本だ。くりかえし。

そして、いずれ(多分、5年後位に)openするNishitani’sBar=Chet=でその内容を肴に一杯やりましょう。

では。

2010年11月21日

フェラーリとツェッペリンと温泉

Filed under: blog — Nishitani @ 10:18 AM

 BOPの40周年記念コンサートからもう2週間がたった。
函館で多くの人と出会い、自分の青春時代の1コマを回想して東京に帰ってから色んな事があった。
Kitkatから頑張る受験生へむけた“おみくじ”風応援メッセージを書くよう頼まれたり(2011年1月5日発売予定)、
PHP研究所から書籍の出版を依頼されたり(いいものを書くぞ!)、母校である高知県の土佐高校で講演を頼まれたり(超緊張しました)、インフルエンザの予防接種をしたり(??)、とにかく色んな事があった。

 土佐高の講演会は今回が2回目だが、前回同様相当プレッシャーがあった。お世辞にも優等生とは言えない自分が多くの後輩達の前で何を語ればいいのだろう。
そもそも、講演会があった11月13日、自分は土佐高で高2のとき同じ日に大阪にいた。
実は秋の学園祭のあと、密かに思いを寄せていた年上の女性(10歳も)に失恋して、傷心の身で男になるべく京都・大阪・神戸と家出をしていた。大阪ミナミの道頓堀、宗右衛門町の富士という名前のキャバレーで住み込みで働いていた高2の自分は当時いったい何を考えていたのだろう?そうした自分に向けた素朴な疑問から出発した講演会だったが、緊張していたにもかかわらず、思いのほか、生徒達の反応は良く好評だったのでホッとした。かっての生徒のそうした失敗談をホールの一番後ろの隅で立たれてニコニコ笑いながら聞いて下さった校長先生、本当にありがとうございました。僕を呼んで下さった進路部長の岡松先生、とても穏やかで物静かな先生なのに登山部の顧問をしておられて、しかもその登山部が全国1位になったというのだからすごい。さすが母校です!!(ところで何が1位なのだろう?)
ということでとにかく色んな事があった2週間でした。

 今日は久しぶりの休日。そして抜けるような晩秋の青空。東京、渋谷からでもくっきり見える富士に誘われて(こちらは本物)フェラーリを走らせた。首都高から中央道に入り1時間も走ると甲府盆地が視界に入る。猛暑の夏の影響で紅葉は例年より遅い。澄み切った空気の中で、木々の葉の一枚一枚がリアルに見える。BGMはツェッペリン。とくにⅣがいい。もう何度聞いたかわからない位に繰り返し聞いたⅣだが、F430スパイダーをオープンにして聞くと新鮮だ。BlackDogからRock&Rollへとドライブするツェッペリンのパワーがビシビシと伝わってくる。フェラーリにはツェッペリンが似合う。ロバートプラントのハイトーンのヴォーカルがエンジン音とコラボし、ジミー・ペイジのギターのリフが気品を添える。ボンゾーのドラムは破壊的で下半身を絶えず刺激する。ボンゾーがホテルで謎の急死をしてバンドが突然解散してから30年が経つというのに、その音楽性は全く古くなっていない。今の低調な音楽シーンの中でますます輝きを増している。

 中央高速のサービスエリアは釈迦堂がいい。こじんまりしたエリアだが、甲府盆地の向こうに見える南アルプスは太陽の光に反照してごつごつとした岩肌をみせている。まるで、太古の思い出にふけっているかのようだ。サービスエリアでの食事は天ぷらそばに限る。簡素なかきあげとネギをのせただけのそばだが、ジャンクで素朴な味と南アルプスの雄大な眺めがミスマッチして、旅の情緒をかきたてる。
 
 ゴールは奈良田温泉。南アルプスの山深い秘境にあるこの一軒宿は僕のお気に入りの宿だ。
今から1300年前、孝謙天皇がこの地に遷居した際に開湯した温泉で、早川と南アルプスの山々に囲まれてひっそりと僕を迎えてくれる。団体客はとらないこじんまりした家族経営の宿で、宿の主人自らが作った総桧風呂がすばらしい。彼はハンターでもあり、山の猟が解禁になると愛犬を連れて、イノシシやシカを獲る。
食事は100%地産地消で近くの畑でとれたソバやコンニャク、山菜、エゴマ、やまめなどが出る。中でも僕の好物はイノシシ鍋でここで獲れるイノシシ鍋は絶品だ。これを食べていると、自分が太古の人類の狩猟採集生活にタイムトラベルした気になる。遠い人類の祖先とつながっている感覚が蘇る。
僕は確信を持って言えるのだけれど、人間の食の究極は海のものではなく素朴な山のものだと思う。
高村光太郎が生きていたら、きっと同意してくれるだろう。
山の空気は凛として寒く、静かに透き通っている。

2010年11月9日

Memories of You -Memories of Bop-

Filed under: blog — Nishitani @ 2:00 AM

 すみません。冬眠(夏and秋眠?)していました。
イレギュラーなニシタニです。

 前のblogにも書いたと思うんだけど、「バップ40周年記念コンサート」に行ってきました。晩秋の函館。
2010年11月6日、僕の青春の記念碑Bopも40周年を迎えた。
企画は大塚君と曽根君。(大塚君は15年程前の僕の横浜校の生徒でした。)
コンサートはUKAJI氏のバリトンサックスのソロ。バッハの無伴奏チェロを思わせる通奏低音で70分余り吹きまくりのライブの間、僕の心は34年前初めて北海道へ旅し、バップの近くの公園で1週間寝袋だけで生活していた時へとごく自然に飛ぶ。その1週間昼間はバップでコーヒーを飲み、ジャズを聴き、詩集を読んでいた。夜は公園で寝袋で寝ていたが、ある日、昼過ぎから雨になり、どこで寝ようかと思案していた僕をバップのマスターは快く店に泊めてくれた。
「うちは狭くて、荷物がいっぱいでキミを泊めてあげることはできないけど、店の中なら全然かまわないから泊っていけばいい。せめて、雨風でもしのげるから。」
そう言ってマスターはどこの馬の骨ともわからない、うさんくさい若者を大切な店に泊めてくれた。おそらく彼はその時のことを覚えていないと思う。人に親切にすることがごくごく当たり前の人なのだ。

 夜中真暗闇の中、昼間はあんなに音を鳴らし続けていたパラゴン(JBLのどでかいスピーカー)もまるでひっそりと寝てしまったよう!何台かあるアンティーク時計のひとつ、ふたつだけが静かに時を刻んでいる。とても優しい闇だ。そして眠りにつく。朝、シャッターの開く音が聞こえる。続いて、マスターが階段を降りてくる音。そして、水道とガスの音。マスターはロールパンにハムとレタスをはさんだサンドイッチを僕に作ってくれた。一宿一飯。仁義の世界ではないけれど、これはやはり生涯の恩義です。その一夜のバップのたたずまいは僕の世界で今もひっそり生き続けている。クリフォード・ブラウンのMemories of Youのような懐かしい響きだ。

P.S コンサートのあとのDukeでの打ち上げパーティーは最高でした。こんなしみじみとした時間の流れるパーティーは久しぶりだ。元函館駅長の松原さん、フリージャズ評論家の副島先生、翌日朝6時に集合して駅伝マラソン大会に出場すると言っていた小林さん。いろんな人と話ができた。すべてバップがなければ、とても知り合うことのないような人達ばかりだ。もちろん、とてもいい意味で。映画「海炭市叙景」制作実行委員会の菅原さんにも会った。たしか、12月8日に封切予定の映画で僕はもちろんまだ見ていないのだけれど、とても期待できる映画だ。函館の貧しくて厳しい環境の中で生きている家族の姿をとてもリアルにとてもリリカルに描いているらしい。正直いって最近の日本映画は僕の知るかぎり、全くもって興味が持てないものばかりだった。これにはもちろん僕の勉強不足があるのだが、久々に何かを予感できる映画が出てきたと思う。変な自信だけど僕はこの種の予感には昔からかなり実質的な自信がある。この何ヶ月間かどんなライブコンサートに行っても、どんな映画を見てもどんな芝居に行っても表層的な笑いやテクニックやセンチメンタリズムしか感じなかった僕だが、今、何か新しいものの生まれる萌芽を感じ始める事ができた。そんな転機をくれた11/6だった。

2010年7月13日

いつでも原点は夢

Filed under: blog — Nishitani @ 9:44 PM

 W杯で活躍した本田圭佑が母校の石川星稜高校で講演をしたときに言っていた、
 
  「僕は夢に向かって進んでいるという点では、みなさん(高校生)と同じです。」
 
 この言葉は別に本田選手と星稜高校の生徒だけではなく、全ての人間に共通する言葉だ。

 「みんな夢に向かって進んでいる」
 
ただ、多くの停滞や逆行があったりもするが・・・。

 先日、渋谷でATMに行った。月末もあってかなりの列が出きていた。30人位待っていたと思う。すると、僕の手前にいる外国人が急に僕に話しかけてきた。

「先生に3年前、立川校で教わっていました。」

一瞬耳を疑ったが、その外国人は6歳の時から日本に住んでいるイラン人の学生で、日本語は自然に話せるが英語は苦手だった。僕の英語を受けて大学に入り、今大学3年生だそうだ。
「そうか、俺はイラン人も教えていた」と思うとうれしくなった。将来の夢を聞くと、日本とイランをつなぐ会社を起業したいという。それで、ますますうれしくなった。みんな自分の持ち場でがんばっている。自分に与えられた運命を、精一杯、精一杯、生きながら、前向きに何かを作り出そうと頑張っている。がんばれ!アリ!

 またもや先日、井の頭線に乗って吉祥寺へ向かっていた電車でコックリコックリと居眠りをしていて、ふと目を覚ますと前に立っている2人の女子学生が僕の方を見ている。そのうちの1人が僕に向かって、

「先生の授業、去年代ゼミタワーで受けていました。今年大学に受かりました。」

といきなり言ってきた。僕は半分、夢の世界で、

「ああ、そう。おめでとう。よかったね。」

などと、あたりさわりのないことを話していると、これから三鷹の美術館へ行くという。大学でいろんなことができて楽しそうだ。将来は美術関係で、マスコミに関係した仕事がやりたいと言っていた。
隣にいた彼女の友人の女の子は高校の時、ヨーロッパーを半年1人で放浪したらしく、(女の子なのにすごい。僕は北海道をバイクで3か月半だ。負けている。)あまり、お金も持たず、イタリア・オーストリア・ドイツ・フランス・イギリス各地を転々としたらしい。ドイツ語が好きで、ドイツ哲学をやりたいと言っていた。

 若者だって色々だ。この間見たNHKの番組では、京都大学で外国の大学への留学枠の定員3分の1しか集まらないという番組をやっていた。この不況下、おちおち留学などしている間に就職戦線に出遅れてしまうらしい。4年で卒業して即戦力として企業で働き、安定した生活と収入がほしい。そう考えてのことだ。

 僕はいつだって若者は現実主義的だと思う。問題は無限に豊かで多様な現実のどこに自分との接点をおくか、だろう。
 何が良い、悪いといった是非の問題ではないが、自分の心の求めるベクトルのその先にある現実は、いつだって心の内部と響き合いながら僕らの行動を未来へと導いている。色々頑張ったあげく挫折し、お先真っ暗な現実の中でさえやっぱり僕らを未来へ向かって手招きしているのだ。言いかえれば、人生に行き詰まった時、僕たちを再び現実へと向き合わせてくれるのは、心の中でグツグツしているそのグツグツの未来へ向かって形象化された夢なのだ。

2010年7月4日

2022年W杯へ向けて

Filed under: blog — Nishitani @ 11:35 PM

 2010年日本のサッカーW杯は終わった。決勝トーナメントでは南米勢強しという予想に反して、ベスト4にオランダ・スペイン・ドイツが残った。ここが勝負事の厳しいところで、まだW杯は続いているにもかかわらず、日本代表のW杯は終わった。本当に日本代表はよく頑張ったと思う反面、やはりベスト4に日本がいないのは寂しい。やっぱり、最後まで残ってほしい。そしたら、本当の意味で完全燃焼できる!!

 じゃあ、それは、いつ?

 僕は2022年だと思う。マジで。もちろん、そのためには僕なりに考えるいくつかの条件がある。あえて、この場で提言させてもらおう。(サッカー関係者とは何の関係もないただの1ファンのきもちです。)

 その1.テレビのゴールデンタイムで週3回、世界のサッカー放映をすること。プレミアとかセリエAとかスペインリーグとかの。やっぱり本物を日常的に見るのは違う。特に、若いサッカー少年たちが本場のプレーに親しむと自然とそれが彼らのスタンダードになる。若者が世界水準のプレーを普通に見て、憧れをもち、それを夢にしているうちに、いつかは日本のメッシ、日本のバッジオ、日本のジョージ・ベストが生まれる。(だんだん古くなっていったが・・・)

 かの大リーグ(プロ野球のこと)もそう。20年前は大リーガーがシーズンオフにちょっと日本に来て、巨人と他チーム全ての合同選抜チームとよく練習試合をやっていた。結果は7回やって1勝6敗位で、いつも日本のボロ負け。彼らは半ば遊び感覚でやっているにもかかわらずだ。ところが今ではどうだろう?NHKが大リーグ中継をほぼ毎日のようにやるようになり、野茂が登場し、大魔神がそれを引き継ぎ、イチローや松井が、日本野球をアメリカで存在感のあるものにした。今ではワールドベースボールクラシックで日本は2度世界を制した。サッカーの世界でも同じことが言える。どうか、今W杯で急増したにわかサッカーファンを本当の日本のサポーターにすべく、テレビ放映をしてほしい。この拙文を読んだテレビ関係者各位よろしくお願いします。

 その2.ヒデが監督になり、俊輔がサブコーチとして日本代表を引っ張ること。たしかに、モウリーニョもいいが、やはり、日本と世界を共によく知るこの2人に代表を引っ張ってもらいたい。すべて純日本製でいきたいのであります。

 その3.2022年のW杯を日本開催にすること。まず、個人的に2002年は忙しくて1試合もナマで見れなかったので、是非この国でW杯を見たい。ディカプリオやミックジャガーが南アフリカにいたように。もちろん、僕を始めとする多くのサポーターのパワーは2022年の日本代表を大きく後押しするはずだ。

 以上が2022年に向けての僕の提言でした。

 本当に感動を、いっぱい、いっぱい、くれてありがとう。日本代表!!
 そして、次へ向けて良いスタートをきれますように!!

                                          ―徳島の講演会から羽田に帰る飛行機の中で

2010年6月28日

チームリーダーホンダ誕生!

Filed under: blog — Nishitani @ 10:59 PM

 やった!やった!やったー!
 6/25、デンマーク戦は快勝だった!こんなhappyな試合を見たのは何年ぶりだろう?とにかく4年前のW杯でのオーストラリアとの苦い苦い敗戦以来のクラーイ気持ちをスカッと吹っ飛ばしてくれた!
 ありがとうイレブン!ありがとう岡ちゃん!

 ところでこの試合で本田は真の意味でチームリーダーになった。
 まずは最初の1点。ゲームの前半で、デンマークに完全に支配されていたゲームの流れを、完全に日本に呼び込む価値あるゴールだった。しかも、あの1発で敵のゴールキーパーはビビった。世界レベルの本田を強く意識した。(あのシュートまで多くのデンマーク人は日本のサッカーをなめていたはずだ。甘くみちゃあいけないよ!)
 次の遠藤の2点目。これも本田の存在が大きかった。敵のキーパーは当然本田のシュートを意識してゴール左をチェックする。それを察知した遠藤が本田にすぐ言う。「オレに蹴らせろ!」控えめな遠藤には珍しい言葉だ。(その後、遠藤はダイビングヘッドまでしている。コロコロの遠藤にはありえない。悪ノリだ。)もちろん、その意図は十分にわかるから、「いや、オレが蹴る」、なんて自己主張を本田はしない。喜んで譲る。そして遠藤のシュートはゴールキーパーの意表をついて、ゴール右隅に吸い込まれていった。チームワークの2点目だ。この流れで前半終了。
 後半、デンマークの捨て身のパワープレーでPKをとられる。キーパーの川島はトマソンのPKを最初ブロックしたが、跳ね返りを決められてしまった。残念!その残念を最も象徴していたのが、川島の悔しがり方だ。見ただろうか。彼は地面を、いや南アフリカの大地を、地球を、3回思いっきりたたいたのだ。この悪い流れ、この運命はオレが変えてやるというメッセージだ!チームの最も後ろに控えるゴールキーパーのこの姿勢は強い。いやでもフィ-ルドプレーヤーを鼓舞する。2-1から日本はカメルーン戦のように守りに入らなかった。いや攻めた。川島の悔しさの借りはゴールで返してやる!
 その後すぐ、岡崎の3点目が生まれる。岡崎本人も認めたように、これは半分以上本田の得点だ。最後のディフェンダーを世界レベルのフェイント(あれはクリスティアーノ・ロナウドレべルだ!)でかわした本田は相手キーパーと1対1になった。その時、あえてシュートの選択は取らずに右にフリーで待っていた岡崎にラストパスをした。岡崎はそれをただゴールに流し込むだけでよかった。
 
 何故、本田は岡崎にパスをしたか?
 試合後のインタビューでの本田の話によれば、彼は試合前、岡崎に「まず、オレが一点取るから、お前が後で出てきて、もう1点入れろよ」と言っていたらしい。おそらく、その言葉が、シュートかパスの選択をする際の1秒の100分の1の時間に本田の頭をよぎったはずだ。彼は、迷わず後者を選択した。
 
 考えてみれば、今度のワールドカップのメンバーはなかなかレギュラーが固定しなかった。
 俊輔ははケガの回復が遅れて本来のキレが戻らない・・・etc。カメルーン戦に絶対引き分け以上という予選突破の原則から、岡田監督は守備重視のフォーメーションをとり、阿部を守備的ボランチ、昔でいうスイーパー兼マーカーのポジションに使い、岡崎に変えて本田を1トップにした。この起用に本田は見事に応えた。おそらく、岡田監督の期待した分の2倍位は・・・。プレーの質だけでなく、チームを1つにまとめるということにおいても、本田は見事にその役をこなした。

 カメルーン戦の直前に岡崎は1トップのポジションを本田に譲らざるを得なかった。いくらチームプレーとはいえ、これを面白くないと思わない人間はいないだろう。本田は岡崎の気持ちを痛いほどわかっていたはずだ。そして、ゲーム前に岡崎に言った言葉をそのまま台本として、ワールドカップという舞台で演出してみせた。まさに、その意味で彼はゲームを楽しんでいた。play(楽しむ/芝居/ゲームをする)していたのだ。
 オランダ戦のラストで同点にしておくべき大切なシュートを外した岡崎は、この一発で自信を取り戻したはずだ。パラグアイ戦で途中出場したら、きっと得点に絡むプレーをしてくれるだろう。その期待を抱かせるに十分なシュート。そして本田の演出だった。

 これにはエピローグがつく。試合後のインタビューで本田はこうも語った。
 「俺はあの時、シュートを選択できなかったから、やっぱりストライカーにはなれないと思う。」
 ヤバすぎるぜホンダ!自分の手柄をさりげなく下げて相手に花を持たせる余裕。オランダで二部に落ちたチームのキャプテンになってチームを1つにまとめ、一部に復帰させただけのことはある。

 そして、日本は決勝トーナメント16チームのなかで、ヒデなきあとホンダを中心に最もチームワークの取れたチームになった。
 
 あとはどこまで行けるか。パラグアイ戦では日本のサッカーの新しいstageが見られるはずだ。ここで勝てばその勢いでポルトガルvsスペインの勝者も撃破できる!!ベスト4は現実的になってきた。世界をアッと言わせるときが・・・・・・・

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