2010年6月1日

Dreaming by Aborigine

Filed under: blog — Nishitani @ 11:26 PM

 20年以上も予備校で講師をやっていると、さすがに教えた生徒の数も増え、そうした生徒が、何年かぶりにふらっと僕に会いに来たりすることがある。自分としては不思議な感覚の中に引き込まれてしまう独特の経験だ。
 
 彼らはたぶん、多感な18歳前後の時期、不安と隣り合わせになりつつも、自分を必死に前へ押し出していた日々に、身近にいて少しでも感受性を共有した大人にもう一度会いたいと思うのだろう。その人に会うことで受験以後今まで生きてきた道程のようなものをおそらく確認したいのだろう。彼(彼女)は、何年かぶりに突然、僕の前に現れる。

 僕はといえば、その彼(彼女)の目の中にふと自分が彼らの中に残した痕跡のかけらを見つけてハッとする。その瞬間は、自分を肯定してもゆるされる、人生の中でごく短い時間の1つだ。自分の歩いてきた人生の痕跡を自分の内部ではなく、他人の瞳の輝きの中にふと見い出すということ。

 今年の2月に1ヶ月程オーストラリアを旅した時、心に深く残った経験がある。それは、アボリジニの考えにじかに接することができたことだった。彼らの天地創造の神話(彼らは今から数万年前にアジア・アフリカからオーストラリアの北部に至り、しだいに南下して自分たちの住む土地を切り開いていったらしい)にdreamingという考え方がある。以前にも書いたことが、アボリジニにとってdreamとは「生活すること」であり、かつ、「旅をすること」でもある。日々の生活が惰性的になることとはまったく逆に、日々の生活が新鮮な刺激や出会いに満ち溢れた旅であり続けること。そして、その生活という旅のプロセスの中で自分が確かに生きていた痕跡を残し続ける行為こそがdreamingなのだ。

 僕はそのdreamingという人生の旅の痕跡を、ふと再会する生徒の瞳の中に感じ取る。その時間はどんなにそれが一瞬であれ、自分という存在にとって永遠のものであって、こんな僕であれ、それでも僕という存在を生かし続けてくれるとても貴重な一瞬なのだと思う。