2010年5月23日

神話的な知の方へ

Filed under: blog — Nishitani @ 9:26 PM

 「・・・最後の蝶が一匹、谷間の上の方をめざして飛んでゆく。何日か前にぼくらがもぎ取ったトウモロコシの茎のてっぺんにふっととまった。羽を開いたり閉じたりすることもなく、じっととまって待っている。食べものを貯めようなんて気はない。まもなく死んでしまうのだ。彼は自分が死ぬことを知っている。こいつは並みの人間よりずっと賢い、と祖父が言った。蝶はせまってくる死にいささかもうろたえない。自分が生まれてきた目的ははたし終わった。そして今やただひとつの目的は死ぬことにある。だから、トウモロコシの茎の上で、太陽の最後のぬくもりを浴びながらまっているのだ。」
                                   『The Education of Little Tree』(フォレスト・カーター著)

 生きものの死をとらえたとても美しい描写です。この蝶の穏やかな死のイメージは、この蝶が「自分が生まれてきた目的ははたし終わった」と感じるところから来るわけだが、では、どれだけ多くの人間が「自分が生まれてきた目的ははたし終わった」と感じて死ぬことができるだろうか。

 動物や植物の生と比べて、人間の生活はあまりにも複雑になってしまったために、日々の生活を生きることに100%の満足感をもち、そして死んでいくということが多くの人間にとって、とても困難になっている時代のように思える。だれであっても、その人に固有の生き方というのは必ず存在するはずで、それをシンプルに太く生きることが人間にとっていちばん幸せであるはずなのに、それができないでうろたえている、あるいはその答えを自分から探しだすことができない人間がますます増えている。

 何か答えの出ない問いの方へ向かって走り出した気がするが、少なくても僕たちは日常の情報的な知識から少し離れて、自然の営みをじっくり観察してみる、あるいは、音楽や文学、神話的な知恵の中で自分に響いてくるものとだけゆっくり対話してみる必要はあると思う。そうした感性を、日常の忙しい中でたえず中心軸に据えながら生活していければ、もう少し生の充実感を感じることができるのではなだろうか。

 オーストラリア原住民であるアボリジニの〝dream″ということばに含まれる意味はそのことを示唆している。
彼らのいう〝dream″とは「生活し、旅をすること」。生活するということは、限りなく豊かなこの世界や宇宙、そして自然の中を、日々新しいものとの出会いを求めて、あるいは、自分の内部のまだ見ぬ自分との出会いを求めて、見慣れたようで実は見慣れぬ森の中を一歩一歩手探りで旅をしていくことなのだ。