2010年5月13日

夢と目標

Filed under: blog — Nishitani @ 12:31 AM

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
                     『農民芸術概論網要』 宮沢賢治

 正直、このことばを高校生のときはじめて知ったとき、自分はこのことばに何か嫌な響きを感じたと思う。
人間ここまでストイックに生きられるはずはない。だったら、そこまで言うのは偽善じゃないか。

 それから長い人生の時間が流れてこのことばは僕の人生にとって切実な響きを持ちはじめているように思う。
ちょうど初対面で嫌な印象を持った人間が、そのあと、その実質がだんだんわかってくるにつれて、自分にとって
唯一無二の親友になってくるように。

 ところで、夢は大きければ大きい程いいと思う。もちろん上述の宮沢賢治の夢はでかい。それよりでかい夢を持ってる奴なんていないだろう。ただし、夢が大きければいいといっても具体的な目標を確実に設定し、乗り越えていくという条件付きでの話だ。僕たちは何か大きなことを達成しようと思うとき、それに使える時間をうまく分割しながら、その時々に応じた具体的な目標設定を行う。そして、その段階的な目標の一つ一つを確実にこなしたことで得た「自信のカケラ」をエネルギー源に次の目標へと向かい、そのくりかえしの中で「自信のカケラ」を寄せ集め、大きな自信を作り、人生の壁を打破しようと頑張る(=breakthrough)。

 たぶん、僕にとって宮沢賢治の上述のことばが、嫌な響きから自分にとって切実な響きへと転調していったのは、自分の人生における一つ一つの目標を確実にクリアーしていったプロセスの中での変化だったと思う。仮に、自分がどんなに幸せになったとしても、例えば、となりのホームレスの人々が寒さでふるえていたり、アフリカの子供が飢えで苦しんでいるのをTVで見るなら、自分はほんとうに幸せだとは言えないのではないか。「自分の幸せ」というエゴを満たすためには、より多くの人々の幸せを志向せざるを得ないのではないか?

 そんな時、ココ・シャネルの言葉が僕を後押しする。

 「人間、どのように生きたかはさほど重要ではないのです。 
 大切なのは、生きている間にどんな夢を見ていたか、ということ。
 なぜなら、夢はその人の死んだ後も 生きるのですから。」

  ここからの話はむちゃ振りだが、W杯日本代表監督の岡田さん(個人的にはとても好きな監督だが)に飛ぶ。彼は目標の立て方がいささか走りすぎだと思う。「我々の目標はベスト4」だという前に、6月14日のカメルーン戦の引き分け以上を具体的目標として絶対実現すべきである。それが全てだし、すべてはそこからだ。何としても前回のW杯の二の舞だけはしてほしくない。これは僕はもちろん、すべての日本のサッカーファンの共通の願いだろう。
まずの目標はカメルーン戦、次は予選リーグ突破、次はベスト8、そしてベスト4・・・。

 ちなみに、僕のサッカー日本代表に求める夢はワールドカップ優勝だ。僕は日本代表がワールドカップで優勝
できるまでは絶対死ねないと思っている。 
                                                             -大宮にて。