2010年5月1日

四月の雨

Filed under: blog — Nishitani @ 10:04 AM

 「四月の雨は心地よく、気持ちを昂ぶらせるが、同時に悲しみを誘いもする。祖父はいつもこの時期、
綯い交ぜの感情を味わうという。なにか新しいものが生まれつつあるから気持ちが昂ぶる。だが、そこに
とどまっていることはできない。すべては束の間に移ろいゆく。だから悲しいのだ。」
                               『The Education of Little Tree』(フォレスト・カーター著)

 たとえば四月の雨が僕たちの心にふともたらす感慨―心の昂ぶりや悲しみ―は僕たちの心と自然の存在
とのある種の共感(コレスポンダンス)を示している。
古来こうした感性は日本人にとって固有のものであったと思う。その共感がなくなったとは言わないまでも、
ずいぶん少なくなったような気がする。ただ、ものごとの始まりと終わりにまつわるこうした感慨は、人が年を
重ねるにつれて、つまり、そうした経験の回数が増えていくにつれ、より実感されていくものだろう。
もちろん、そうした経験の深まりに対し、ある意味マヒしてしまい鈍感になるというのも、生きている上である
意味1つの人間的な知恵かもしれないが・・・

 そういえば、宮沢賢治が、妹トシが亡くなった後書いた詩「青森挽歌」の中で次のように言っているのを思い出す。

感ずることのあまりに新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもってばかりゐてはいけない
ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか

 年を重ねるにつれ感性がより研ぎ澄まされていくか、あるいは鈍くなるか、この格差は広がるばかりだろう。
これは是非の問題ではないが、深い悲しみはより深い喜びを感じるための条件であることは古来ギリシアの
昔から変わらない人間性の真実であると思う。