2010年4月27日

理解そして愛

Filed under: blog — Nishitani @ 12:31 AM

「言葉がもっと少なかったら、世の中のごたごたもずっと減るのに、と祖父は嘆く。
・・・祖父は言葉の持つ意味よりも、その音、あるいは話し手の口調のほうに大きな関心を払った。
言葉のちがう人たちの間でも、音楽を聴けば同じ思いを共感できる、と言う。それには祖母も同じ意見
だった。祖父と祖母が話しあうときがまさにそうで、交わす言葉の音とか口ぶりが大きな意味を持って
いた。

祖母は名前を『ボニービー(きれいな蜂)』と言った。ある夜遅く、祖父がI kin ye,Bonnie Bee.と
言うのを聞いた時、ぼくにはそれがI love you.と言っているのだとわかった。言葉の響きの中に、
そのような感情がこもっていたからだ。

また、祖母が話の途中でDo ye kin me,Wales?とたずねることがあった。すると祖父(Wales)は
I kin ye.と返す。それはI understand you.という意味である。祖父と祖母にとっては、愛と理解は
ひとつのものだった。祖母が言うには、人は理解できないものを愛することはできないし、ましてや
理解できない人や神に愛をいだくことはできない。」
                         『The Education of Little Tree』(フォレスト・カーター著)

自分にわからないものをどうしたらもっと理解できるだろうか。
僕は高校1年の時、不登校になって叔父の運営する知的障害児の学校で1か月程生活したことが
ある。知的障害児と生活することは自分の中では初めての経験だった。戸惑うことも多かったし、
ずいぶん失礼なこともしたり言ったりしたのではないかと思う。ただ彼らと一緒に近くの山を伐採して
ちょっとした牧場を作ったり、マラソン大会では一緒に15km程を走ったと思う。根気が続かず、
すぐ別のことをやる子もいたが、忍耐強く単調な作業を黙々とこなす子もいた。マラソンでは走力に
自信があった僕だが1人だけどうしても敵わない生徒もいた。夜、僕の部屋にやってきては僕の事に
興味を持ってくれてナイーブな感じでいろいろ質問する子もいた。みんなひとりひとりが自分の人生に
前向きであることが痛いほどわかった。

・・・単純だけどこうしたことが1つの理解だと思う。どんな物事でも先入観で排除せずによく事実を
見て、耳をすましてよく聞き、そして理解すること。世界への愛が芽生える場所はいたるところにこ
ろがっている。

もう一つ、とても感動的な親子のコミュニケーションを紹介しよう。
この親の子供への対処の仕方は必ずしもいいものとは言えないけれど、親と子の切ないような愛情
が伝わってくる。

『・・・おまえ(リトル・トリーのこと)にはまだわからんじゃろか、無理もない。わしには奴らの胸ん中を
のぞきこむチャンスがあったんじゃ。何年も前になるが、ある小作人の掘っ立て小屋のそばを通った
ときのことさ。裏の空き地に二人のちっちゃな女の子がおった。木陰でツアーズ・ローバック(シカゴを
本拠地とする通信販売会社)のカタログなんかを見ておったよ。そこへ小屋から男が出てきた。男は
小枝を手にしてな、そいつでもって、女の子の足を血が出るまで引っぱたいた。わしはやぶの陰から
一部始終を見てた。父親はカタログを取り上げると納屋の後ろへ行って、ビリビリに破ってから燃やし
ちゃったよ。カタログを目の敵にしているみたいじゃった。それから納屋の壁に向かって腰を下ろし、
泣きはじめたんじゃ。誰かがのぞいてるなんて思いもよらなかったんじゃろうな。それを見て、わしにも
わかったのさ。
いいか、おまえはものごとをきちんと理解しなきゃいかん。たいていの人は面倒だから理解しようとせん。
それで、自分の怠け根性を隠そうと、やたら言葉を吐き散らすんじゃ。おまけに他人のことを『役立たず』
と決めつける』

この父親の子供を思う愛は限りなく純粋だと思う。